2007/12/22
五味。
もはや『五味隆典』が、目の前の邪魔くさい扉をぶち壊し、勢いよく《さいたま》の空間に現れることはない。
実行委員会の『五味』への対応も、また同じ事が言えよう、一度も真正面から向き合う事が出来ずに今日に至った。
[一夜限りのけじめのイベント]に背を向けた男も、武士道最高の功労者を何としてもこのイベントに引っ張り出すという執念、拘りを簡単に捨ててしまったイベンターにも、もはや歩み寄るという前向きなスタンスを持ち合わせてはいなかった。
このイベントの意味は双方共に十分わかっている。
私は実行委員会の報告を受けて、何とも歯痒くて、もどかしくて、情けない気持ちになった。
コレが人間同士の相容れないシンドイ、難しい部分なのだろうか!
悔しいが、しゃあない。
老婆心ながら、当然イベントは一夜限定で終わるが、『五味』のファイター人生はまだまだ続く。
だからこそ『五味』のアンテナが鈍らない事を願う。近くにいる人間が、常に『五味』が最良の道に向かえるように、背中を押し続けるという嫌な役どころをまっとうしてやらなければならない。
『五味』には、この《さいたま》で、過去にけじめをつけて自分の未来を切り開く大事な基点とする舞台にしてもらいたかった。
何よりも、応援してきたサポーターがソレを感じ望み、強い期待を抱いて待っていたのが辛い。
大いにイベントを利用して存在感を誇示してほしかった。
『ヒョードル』とのツートップという看板として、けじめの《さいたま》の象徴としてだ。
いつの時代でも『五味隆典』のようなファイターは中々出てこない。
改めて言うが、実行委員会には、拘りを捨てて『五味』の懐に思い切り踏み込んでもらいたかった。
それでもダメなら綺麗に諦めるだけである。
彼らのアンテナも鈍ってると言えよう。
一つ言わせてもらうと、私にとって、この《けじめのさいたま》に携わることは「やりたいこと」ではない。
「やらなければならない」ことである。
イベンターは、コレに徹するべきである。
コレに徹すれば何かが変わったかもしれない。
『シウバ、ミルコ』など多くのトップファイターたちは、幾度となく、「やらなければならない」その局面で戦いをチョイスし、戦い続けてきた人たちである。
「やらなければならないこと。」
これを解釈する側の微妙な温度差に、ジレンマや悔しさを感じる。
なにはともあれ、今回は私の力不足に尽きると言える。
期待をして待っていたサポーターには申し訳ない思いである。
私自身がこのイベントに参加すると決めた瞬間に、私が『五味』と真正面から向き合っていればと考えたりもする。
それで我々が望む結果になる、と言うことではないが、それでダメならしゃあない。と素直に思えただろう。
みんな『五味』のギラギラした生き様が見たかったよ!
「俺が出なけりゃ始まらねえだろ!」くらいの大見得を切って姿を現してもらいたかったよ!
残念無念である。
一つ忘れてはならないのが、『五味』はこの大事なターニングポイントを自分の意思でNOをチョイスした。という現実である。
背を向ける作業にも大きなエネルギーが必要だったであろう。
近い将来、どこかのリングで、思い切りエネルギーを爆発させる『五味』の弾ける姿を観たいものである。
(敬省略)